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    大塚明さんを偲び、江川処分場周辺を歩く(7月12日)

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      皆様 大塚明さんが7月7日に亡くなり、昨日お通夜が行われました。大塚明さんに出会い、住民運動について教えていただかなければ、私が廃棄物問題や遊水地の自然保護運動にかかわることはなかったでしょう。2016年6月25日の共同墓地の草刈りに来てくださったときの拡大写真を添付します。

      1989年5月、大塚明さんと私の同級生石川岩一君、藤沼克良君が拙宅に来られ、江川一般廃棄物処分場拡張阻止運動に入ってもらいたいとの依頼を受けました。私も江川処分場の悪臭に辟易していましたので、快諾して、以後、藤岡町議会、栃木県議会に抗議行動を行いました。大塚さんは親戚の始めた処分場操業に協力していたのですが、規模を拡大し、10数メートル掘り下げ、川砂を採取し、その後に生ごみを投棄するということが、周辺住民を悩ませていること、勤め先が東京都清掃局で、操業元株式会社ダイヤ整環のような会社の危険性を知って、拡張を阻止しようと住民と動き出したのです。しかし、止めようとした第3工区も止まらず、その後、生ごみの投棄を止めて、焼却残渣を埋め立てることがかえってダイオキシンを埋め立てることになることから、強力に反対したのですが、第7工区まで拡大され、ついに退職金をつぎ込んで、第8工区から第10工区をご自分で買い取り、この拡張を終わらせました。ここで、宇井純さん、梶山正三弁護士と知り合うことができました。

       

      さらにこの運動に猿山先生が加わり、渡良瀬遊水地の自然保護運動も重要だと主張され、町田武士さんと水土緑を考える会を立ち上げ、数年運動をしました。その後、私は宇都宮大学国際学部設立の仕事が忙しくなり、渡良瀬遊水地自然保護運動から離れましたが、猿山先生は、渡良瀬遊水地を守る利根川流域住民協議会に拡大し、渡良瀬遊水地のラムサール条約登録を推進されました。

       

      大塚明さんと渡良瀬遊水地自然保護運動に再び加わったのは、浅野正富先生の渡良瀬遊水地をラムサール条約登録地にする会から、2010年、大塚さん、岩瀬哲夫さんと私に栃木市での対応を依頼されたためです。国交省、環境省が渡良瀬遊水地ラムサール条約登録に賛成したのに、地元藤岡町から栃木市に反対署名が出され、このままでは渡良瀬遊水地に77パーセントの土地をもつ栃木市が反対すればラムサール条約登録は不可能のなるからです。私たちは、まず藤岡町の反対派を回りましたが、治水がおろそかになることを恐れている人々は、どうしても賛成しません。国交省は治水をおろそかにするはずがないのですが、納得しませんでした。藤岡町選出の栃木市議を回っても、後で登録すればよい、というのみです。今回のチャンスを逃せば、東京の三番瀬のようになると言っても、理解してくれません。それで、7月9日のブログに書いた通り、大塚さんと岩瀬さんと私で全市議を回り、かろうじて議会賛成を得ることができたのです。この間、江川処分場問題でも、ラムサール条約登録でも全面的に賛成してくれたのは、針谷不二夫さんだけでした。

       

      私には住民運動の先生というべき大塚明さんが突然亡くなった(6月20日に検査で食道がんと胃がん、肝臓がんが見つかり、緊急入院、7月7日に亡くなったのです。ただまったく痛みがなく、私が見舞ったときも、普通にお話できました。最期の日も、昼にはアイスクリームを食べ、家族に看取られながら、静かに息を引き取ったそうで、何よりの慰みです)。

       

      そんなわけで、昨夜激しい雷雨があり、まだ雨の中、5時35分に愛犬ジャレッドと出発しました。気温は25度でした。

       


      運動公園から河川敷を抜け、西赤麻橋を渡って(さすがに水が少しふえていました)、周囲堤から東赤麻樋管を通って、周囲堤を下り、県道に出て、下江川橋に出ました。この江川は、私が小学生の頃、清流で、下江川橋(子供たちはエガバシといっていた)から下もを見ると、魚が群れていました。私は見ませんでしたが、近くの崖から清水が湧き出していて、サワガニもとれたそうです。子どもにとってカニは宝物でした。しかし今は写真の通り、周囲が護岸となり、水も濁っています。

       

      ここから、廃棄物処分会社、株式会社ダイヤ整環の廃屋(破産しました)を過ぎ、周囲堤に5時57分に着きました。気温は24度でした。雨がまだ降っていましたが、ジャレッドを降ろし散歩を始めました。鳥は、ホオジロ、ウグイス、オオヨシキリ(地鳴きが多い)鳴いていました。周囲堤から江川処分場の写真を撮りました。県は許可をするとき、1年で農地復元をするということでしたが、その約束は守られず、今は地権者の所有地も分からなくなり、測量をするにも莫大な金がかかり、ほったらかしとなっています。写真は江川の右が第1工区と第2工区、左が第3−7工区です。この右には莫大なダイオキシンが埋められており、薄い遮水シートで遮られているにすぎません。


      南を眺めた写真を撮りました。江川はよく見えませんが、大塚明さんはよく、ここは魚が連れて、東京からバスで釣り人が来て、釣り竿が林立していたと話していました。それが処分場ができてから、奇形魚がでるようになった、といって、県議議員に質問してもらっていました。

       

      下に下りると、まだノカラマツの花が咲いていました。そして、道が左に曲がる地点で江川の河畔林の写真を撮りました。


      車に6時19分に戻り、ジャレッドを乗せて、周囲堤を走りました。そして大塚さんの家のある東赤麻の周囲堤から、昔大塚さんが魚を獲ったという大島沼跡のヨシ原の写真を撮りました。大塚さんは魚とりが大好きで、高校の学費の一部は魚を売った金を充てていたと言っていました。投網の名人で、地引網もやったそうです。

      車で西赤麻橋を渡ると、車の前を鳥が歩いていました。ヒバリかと思いましたが、よく見るとシギです。帰って図鑑を調べましたが、分かりません。同じ個体の3枚の写真を添付します。名前をお教えいただければ幸いです。   高際澄雄


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        コメント
        生前は、大変お世話になりました。
        大塚明の娘 美幸です。
        父の事を記事にして頂き嬉しく思います。幼い頃は、反対運動をしている父が好きではありませんでしてが、私達子孫の為にしてくれている事だと分かり偉大な父だったと改めて思い知らされました。
        父の事を思うと今も涙が出て来てしまう弱い私です。
        先生、今後も父の愛した藤岡町を父の分まで愛して下さいませ。
        • 牧野美幸
        • 2018/11/05 9:52 PM
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