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    北川辺旧渡良瀬川と本郷の堤防を歩き、昨日のフィールドワークでの情報を確認する(4月30日)

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      皆様 今朝は愛犬ジャレッドを車に乗せ、6時1分に出発しました。昨夜から雨が降り出し、かなり強く降っていました。スズメとツバメが鳴いており、気温は15度でした。

       

      昨日、渡良瀬川研究会のフィールドワークが行われ、一番最後に北川辺本郷の堤防に上り、本郷の歴史について学びました。そこで新しい情報が得られましたので、今朝は確認するために、旧渡良瀬川をまず見てみることにしました。

       

      これまで北川辺の旧渡良瀬川は、底谷で締め切られた旧渡良瀬川で唯一昔の面影を残す区域として見てきましたが、果たしてそうなのか質問しました。すると、昔と変わっていないことだけでなく、新しいことも分かりました。まず、右岸の道路は輪中集落だった本郷の堤防だったということです。そしてその南側の街並みは昔からあったということです。さらに北側の伊賀袋はかつては渡良瀬川を県境にしていたので、茨城県だったが、やがて埼玉県に編入されたとのことです。きわめて重要な情報でした。



       

      ここから北川辺排水機場南の駐車場に行きました。ここでの気温は13度でした。ジャレッドを下ろし、散歩を始めました。

       

      堤防に上ると、本郷で一際大きな屋敷が見えます。これまでも歴史のあるお宅だろうとは思っていましたが、昨日のフィールドワークで、それは稲村家であり、利島村川辺村が遊水地問題に揺れた時、田中正造翁と連絡を取りながら、村民の先頭になって戦った稲村廣吉さんの家であったことが判明し、納得しました。





      さらに川辺村はかつては古河藩の川辺領であり、利根川の対岸の大利根町は向川辺領でした。さらに渡しが渡良瀬川と利根川にあり、渡良瀬川の船頭が田中正造翁を尊敬して、渡し銭を取らず、田中翁が亡くなってから、鷲神社に「田中霊神」の石碑を建てたとのことです。これらのことが今朝の散歩で確認できました。   高際澄雄


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