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- 2023.03.31 Friday
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皆様 今朝は愛犬ジャレッドを車に乗せ、5時39分に出発しました。曇っていて気温は9度でした。
北中央ゲートに5時48分に着きました。気温は7度でした。ジャレッドを下ろし、散歩を始めました。
北中央ゲートのすぐ南のコブシが花をつけていました。写真をご覧ください。並木のコブシはいずれも花を咲かせています。
池内水路を渡り、少し歩くと、ヨシ焼きの燃え具合が良く分かりました。9割は燃えています。写真をご覧ください。
大野鶴蔵さんの隣、大野日代蔵さんの屋敷跡はよく焼けていたので、上まで上り、北の写真を撮りました。ここは間明田粂次郎さんの屋敷跡まで9割以上が焼けています。そして少しヨシが残っているのは、水路跡です。水野要作さんの北の水路跡の写真を添付します。この水路は岩波正作さんの屋敷跡の西まで続いています。まだ水路跡が残っているというのはうれしい限りです。谷中村では水路は舟道と呼ばれ、舟による交通の方が道による交通より重要でした。この意味で、水路跡はなんとか残さねばなりません。
雷電神社の方もよく燃えていました。今朝は北に歩きました。というのも、3月3日にたから園工芸で見た、小口一郎さんの油絵「渡良瀬遊水地」の写生場所が岩波初蔵さんの屋敷跡と土取り跡沼ではないかと思われたからです。その鍵は右上に見える山で、これは間違いなく三毳山です。そして三毳山がこのように見える場所は岩波初蔵さんの屋敷跡しかありません。しかしヨシが灰得ているときにはわからないので、今が絶好のチャンスです。そしてまさに岩波初蔵さんの屋敷跡とその北の屋敷跡がぴったり一致しました。写真と絵を見比べてください。
竹沢家屋敷跡は西に沼があるためにヨシが燃えておらず、良く見えません。ここの沼にジャレッドは入り込んでなかなか出てきませんでした。そしてその北の阿弥陀堂跡も水路が西にあってヨシが燃えていませんでした。写真を添付します。
間明田家屋敷跡を回り込んで、西から見ると、ヨシが良く焼けていました。写真をご覧ください。
ここから池内水路岸を歩き、車に戻って、ジャレッドを乗せ、7時14分、帰路に就きました。
昨夕は、一本榎道のチュウヒを観察するために4時少し過ぎに行きました。すると、ホバリングしている鳥がいました。川崎ナンバーのご夫妻(越谷在住だそうです)から何の鳥かと尋ねられ、ノスリでしょう、と答えましたが、あとでチョウゲンボウと分かりました。さらに私は、ここには5時を過ぎないとチュウヒは来ないというと、これは何ですか、と写真を見せられ、まぎれもなくチュウヒで、面目丸つぶれでした。お二人は中央エントランスでミサゴの見事な写真を撮っていました。
しかし、その後チュウヒは現れず、しきりにチョウゲンボウがホバリングしていました。そこに群馬の方で、オオワシやオジロワシを日光で観察しておられる方が来ました。500ミリのキャノンのレンズで撮影していました。やっと5時過ぎに、その方がチュウヒの写真を撮りました。そのチュウヒはヨシ焼き跡に下りていました。それから、北に1羽、北から1羽が飛んできました。ここで川崎ナンバーのご夫妻は変えられました。さらに2羽がヨシ原の上を飛びました。そして、チュウヒが1羽ヨシ原に入りました。最後にハイイロチュウヒがヨシ原の上を舞って、ヨシ焼き跡に降り立ちました。キャノンで写真を撮っておられる方は、こんな折り方をするんだ、と驚いておられましたが、おそらく、ヨシ原の中のねぐら入りも、ヨシの開いているところに下りているので、同じなのでしょう。6時にお別れをして、帰り道、ジャレッドの散歩をしました。 高際澄雄
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