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- 2023.03.31 Friday
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皆様 昨日ポーランド旅行から帰りました。愛犬ジャレッドはなかじま動物病院に預けたのですが、昨日夕方会いに行くと、すぐに私の足音に気づいたまではいいのですが、その後の態度がそっけなく、8日間いなかったことに疑念をもったようです。1時間くらいまでそのよそよそしさが続きました。
今朝は時差ぼけが続いていたようで、6時かと思って起きると8時でした。慌てて支度をしてジャレッドを乗せ、8時29分に出発しました。気温は0度でした。
中央エントランスに8時41分に着きました。気温は1度でした。ジャレッドを下ろし散歩を始めました。あたりでスズメとコゲラが鳴いていました。
下宮橋の袂でツグミが鳴いていました。ポーランドでもツグミの仲間を見たので、写真を撮りました。
谷田川は水量が減っていました。写真をご覧ください。
ウメの花は相変わらず満開です。谷中湖もまだ干し上げは始まっていないようですが、カモが谷中湖を泳いでいません。岸に北ブロックに100羽ほど、南ブロックに50羽ほどカルガモがいました。10羽くらい泳いでいたのはコガモでした。写真をご覧ください。久しぶりの男体山、筑波山もよく見えました。ここで戻り、車にジャレッドを乗せ、8時46分帰路に就きました。
1月17日から24日までのポーランド旅行は、ポーランドに対する認識を決定的に変えました。コペルニクスは3つの大学を出て、司祭、法律家、医者の資格をもった能力ゆたかな人でした。キューリー夫人は名家の出で、フランスに出てからピエールと結婚その子供たちと合せて5つのノーベル賞を受賞しています。またショパンも祖国の独立を支援していた作曲家でドイツからもロシアからも疎まれ、やっと心臓のみが帰国は果たしました。
家族連れに会いましたが、子供が元気よく、スマホを使っている母親はいませんでした。まともな社会です。そして若者は知的(大学進学率90パーセント、学費は無料です)で、一生懸命勉強している姿を見ました。
ポーランド人は親日家で、日露戦争後、日本が600余名のポーランド孤児を引き受けたこに由来するそうです。
アウシュビッツ・ビルケナウは考えていた以上におぞましい場所でした。知らなかったことはゲットーに隔離されていたユダヤ人たちはアウシュビッツ・ビルケナウに連れてこられるとき、もっといい場所に行けると期待してきたそうです。無理に貨車に押し込まれてきたわけではなさそうです。ところが到着するやいないなや男女子供が分けられ、女性と子供は労働力の少なさからそのままガス室に送られ、持ってきたものは全部分類されて、再使用に使われたそうです。たくさんの眼鏡や子供服を見ると気持ちが悪くなりました。
さてポーランドの自然ですが、厳冬期であったため、カラス類とツグミ、スズメくらいしか見なかったのですが、ワルシャワの現地ガイドの話では、ヨーロッパのコウノトリの85パーセントはポーランドで生まれているそうです。アフリカから渡ってきたコウノトリを3月から8月まで近郊でたくさん見られるとのことです。(ウィキペディアによればポーランドでは450種余の野鳥が観察できるそうです。)樹木はアカマツ、シラカバ、ヤナギが目立ちました。そしてヤドリギがたくさんありました。写真を添付します。日付と時間は日本時間ですので、ポーランド時間にするには8時間遅くしてください。
車からゴミを捨てる運転手はいなくて、川にはゴミがありませんでした。これはルーマニアとよく似ていました。 高際澄雄
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