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    • 2023.03.31 Friday
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    藤岡の街路を歩き、谷中村事件関連地を見る

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      皆様 今朝は雨が降っていたので、ジャレッドと藤岡町の街路を歩くことにしました。ヒヨドリとムクドリが鳴いていました。

       

      我が家から少し西にハクモクレンの木があります。そのつぼみが膨らみ始めました。そしてその下のユキヤナギの花が咲きだしました。2枚の写真を添付します。

       

       

      少しすると早乙女さんの家に出ます。ここは、田中正造翁が佐野足利に最後の説得の旅に出たお宅で、五月女文吉さん(当時はこのように表記されていました)、奥様のくらさんがもてなし上手で田中翁はたびたび宿泊しています。昨年1123日のバスツアーで、現在の当主早乙女丈嗣さんの説明では、文吉さんは近くの阿部家からの婿養子だったそうです。くらさんは頓智のきく奥さんだったようで、田中翁のお気に入りでした。早乙女さんの今の奥さんが花を育てるのがうまく、パンジーなどが咲いています。写真をご覧ください。


       

      新町に行くと、ヒイラギナンテンが咲いていたので写真を撮りました。

       
       

      新町には田中翁の支援者、岩崎清七さんの醤油店がありました。今は、工場は取り払われましたが、レンガの門が残されています。このレンガは野木のレンガ窯で焼かれたもので、貴重だと残されました。岩崎清七さんは、森鷗村の塾生頭で、同門の片山潜と谷中村の人々を救おうと努力しました。

       
       

      少し歩くと、遠くに、新しい信号機が見えました。今月繁桂寺の入り口に新設されました・

       
       

      この新町にはかつて歓喜院というお寺がありましが、廃寺となりました。今は記念碑が立っています。

       
       

      この東側が田中翁が佐野足利に旅をしていた時、谷中村の洪水で人々の苦難を心配し、五月女文吉さん10円を送って、米を買ってくれと頼んだ米屋、上州屋の跡で、今は電気店(閉店)となっています。そしてその奥に、明治43年の洪水で県会議員に説明した宿屋の河内屋があったところです。

       

       

      ここから新信号機を曲がり、さらに新町公園を曲がって、腰塚医院を抜け、帰宅しました。雨が強く、ジャレッドはすっかりぬれてしまいました。我が家のサンシュユの花が目につきました。         高際澄雄



       


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